鹿島に流れ着いた「お札」
先日、ネット上で興味深いコラムを発見しました。
まさに神業(^。^)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/12465?page=2
『「隊区」に戻りたがる日本の神様』より抜粋。
■陸前高田から鹿島に流れ着いた「お札」
震災から1カ月が経った4月11日の朝、鹿島神宮の神主が1本の電話を受けた。
「海に大きなお札(ふだ)が流れ着きました。面倒をみてもらえませんか?」
鹿島灘近くのお年寄りからだった。神主が浜辺に行くと、そのお札は1メートル30センチもあるもので、泥と油にまみれ傷だらけであったが、「諏訪大明神祈祷神璽」と記されている。
すぐに車に乗せて持ち帰り、きれいに拭いて、しばらくの間お祀りし、後日、元宮である諏訪大社に託すことになった。
このお札が、岩手県陸前高田市の諏訪神社のものであることが判明したのは6月になってからだった。諏訪神社は山の上の御本殿だけを残して、平地の施設は全て流出してしまい、宮司さんや神職の方々は亡くなっていたことも分かった。
鹿島神宮では、この諏訪の神を元宮に届ける前夜、応接室に祀っていたお札を拝殿に移したという。諏訪の神に、朝まで鹿島の神とゆっくり語り合ってもらおうという計らいだった。
実は、鹿島の神と諏訪の神は『古事記』における「国譲り」の逸話の中で力比べをし、鹿島の神(タケミカズチ)が勝利したという関係なのだ。その2人の神様がこういう形で巡り会ったことは実に因縁深い。
「津波に流され1カ月も漂流してここまで辿り着いたとは、さすがに私の好敵手。これからは日本中の神とともに我が国の復興にあたろうではないか!」
「ありがとうございます。諏訪の地で傷を癒やして、早く被災地に戻り、東北の人々のために力を尽くす所存です」
そんな会話があったかどうかは想像の域を出ないが、はるか昔に起きた「国譲り」の恩讐を超えて、国の安寧のため力を合わすことを誓い合ったのではないかと、鹿島神宮関係者は話してくれた。
(転載終了)
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